さて、第8回全国障害者芸術・文化祭滋賀大会のはじまりです。障害のある人たちの芸術制作、表現発表、文化的な活動の展開やサポート・・・それら日本各地それぞれで創られ行われてきている作品・事象を、ひろく全国的にもっと知らせ合おう、学び合おうという芸術・文化祭を、今年度は、ここ滋賀で行うことになりました。
そこで、名づけた大会名称が、「アートはボーダレス」です。キャッチフレーズ的でもありますが、このような名称になったのにはいくつかの理由があります。
「ボーダレス」とは、もともと、国境がないとか、境目が消えてしまうような、という意味の英語の形容詞です。滋賀県では、近江八幡市に設置された「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」という施設名として、この「ボーダレス」という形容詞を選びました。
その意味合いは、障害のある人たちはじめ「正規の美術教育を受けたことのない(=self-taughtの)制作者」と定義づけられる「アウトサイダーアーティスト」と、そうでない現代美術などを担うアーティストなどの作品が、まさしく「ボーダレスに」そこにはあってそれらを鑑賞・体験できる「芸術の場」づくり、というものです。(なお、このボーダレス・アートミュージアムNO-MAは、はじめは「ギャラリー」といっていましたがのちに「ミュージアム」というようになりました。でも、その場の本質はあまり変化していません。)
したがって、「アートはボーダレス」の第一の意味は、アート間のさまざまなボーダーを取り払ってみよう(境目なく、共存していこう)というものです。多文化間の違いは違いとしてそれぞれ大切にしつつ、でも、アジアと西洋との線引き、音楽と美術というジャンル間、そしてアート好きとアートには縁がなかった人たちとの境も軽々と飛び越えたい、そうすれば、裃(かみしも)を脱いで、アートはもっとまちに社会に響き合うのではないか、私たちの耳元にささやくのではないか、そういう思いがこのフレーズにはあります。
さらに、二番目の意味として、アートが社会をボーダレスにしていくのではないか、という期待がこのフレーズにはこめられています。疲れたときに傍らにいるアート、気がつけばアートがある家族生活、アートと共存できる地域のあり方こそが、ボーダレスな社会を生み出すのではないか。価値の尺度が一元化され、そのために勝ち組・負け組などという気持ちの悪い言葉が生まれている昨今、この格差社会と呼ばれるような閉塞感ある時代に、アートは何らかの抜け道、活路を見つける希望となるのではないか、というものです。
アートたちをボーダレスにしようという第一の意味、そして、アートを通ってボーダレスな社会に、という第二の意味。そして、これからみなさん自身が見出していくだろう第三、第四の未知の意味にも心を寄せて、この「アートはボーダレス」を全国に沁みだしていこうと思います。
小暮 宣雄
(京都橘大学教授・第8回全国障害者芸術・文化祭滋賀大会実行委員)